昭和51年4月12日 朝の御理解



御理解第81節 「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」

 信心をさせて頂く者の心掛けとして、教えて下さってあるとゆうふうに思います。人間は誰しも同じようなものを持っとります。例えば、ひとつの願いごとが成就致します。そうすると、そこにやれやれとゆう心が出る。その、やれやれが油断。
 昨日、朝の奉仕をして、帰ろうとしておるところに、先日から参ってみえて、大変おかげを頂いたというて、お礼に出てみえておった方で、息子さんを勘当するの、息子さんから勘当されるのというておった方ですが、その方が参って来ました。
 「先生、大変おかげ頂いとりましたが、また息子がおらんごとなりました。」とゆう事でした。「あんた方が一番初めに参って来た時も、息子の事は私に任せて信心しなさい、遠い所でもないから朝の御祈念にでも参って来なさい」と。それから、何日かしておかげを頂いて、それこそ不思議な事じゃあるとゆうような、おかげを頂いて、お父さんの仕事を一生懸命手伝うようになり、おかげを頂いたというてお礼に出て来られて、その時も、確か末永先生がお取次させて頂いて、明日の朝から、朝の御祈念に参って来なさいと、と言うたそうじゃないですか。
 例えば、人間が本当に幸せになる事のために信心はするものであって、目先目先のおかげとゆうものは、誰でも頂かなならんけれども、そのおかげの事はお取次を頂いて、いうならば、お任せして、そこから頂いてゆくおかげ、そして各々は、しっかり信心の稽古をさせてもらわなければいけない、というてお話させて頂きましたら、「もう先生、その事は、重々分かっとります」と、こう言う。
 「重々分かっとらんから、あんたが参って来んじゃないか。明日の朝から参っておいで」「それが、今朝も、お参りしようと思うとったところが、ちょうど自動車にガソリンが切れてから、お参りができませんでした」とこう言う。
 信心とゆうものは心掛けでするもの。さあ明日の朝、五時の御祈念にでもお参りさせて頂こうと思うたら、前の晩から、ちゃんと自動車の整備もしとく、油もさしとく。そして、朝の御祈念にお参りさせて頂こうとゆう、そうゆう、信心させて頂く者には、心掛けがなからねば、お参りはできません。
 重々分かっとるというけれど、分かっとらんからお参りができん。例えば、あんたが今頃お参りに来た。おかげを頂いた、そのおかげをもし頂き続けとったら、それっきり合楽には、なおさら参って来んでしょうばい。それでは本当のおかげにならぬ、というて私は、懇々と話をさせて頂いたんですけど、今朝も、まあだお参りしちゃないようです。明日はどうでん、こうでん参ると言いよんなさいましたけど…。
 これは極端な例ですけど、お互いが、さまざまな願いを持って、またおかげを頂かねばならんから、一心に朝の御祈念にもお参りして来る。あれが成就し、これもかのうたとなると、必ずと言ってよい程に信心に油断ができる。
 九里半登っても油断をしてはならんぞ、十里の坂を登らせて頂いたら、それで安心じゃとゆう事は、昨夜のお月次祭でも皆さんに聞いて頂いたように、本当に信心の真を現していくとゆう、その事が信心だと、分からして頂いたところから、初めて、十里の坂を向こうへ降りたのだと、ゆうふうに思います。
 信心が分かり、そしてその真を現さなければおられないとゆうもの、いわゆる信心しておかげを頂くとゆうのでなくて、信心をさせて頂いて、その信心を分かり、信心を頂かなければできる事ではないこと、それは信心の真を現すとゆうこと。
 ただ自分がおかげ頂く事のみのために、どんなに朝参りして来ても、どんなにたくさんのお供えをしても、どんなに御用させて頂いても、自分自身のため、私がおかげ頂かなければならんから、のための信心では、私がおかげを頂き、私―家がおかげを頂いたら、もうそれで、人間は必ず緩みがくる。
 信心の真を現さずにおれない。信心が分かってくれば、そうさせて頂かずにおれなくなってくる。そうゆう信心が芽生える、そうゆう信心が育っていく。もう、これは枯らすわけにはいきません。これを育てる事が喜びであり、生涯かけてその事を、いよいよ育てていく事に、精進する事でしょう。もう十里の坂を向こうへ降りたも同然でありましょう。 信心の真を現す事に喜びが感じられる。いやそうしなければおられないとゆう信心が生まれた時、初めて皆さんも安心なら、神さまもまた、もうあの氏子は大丈夫と安心して下さる事でしょう。
 どうでも信心の真を体得して、その真を現してゆくとゆう。
 信心、それは、信心の真を現すとゆう事はね、昨日のお月次祭にも、お話を聞いて頂きましたように、大連の教会長であられました、松山成三先生のお話を、まだ、ほんのちょっとばかりしか読んでないですけれども、今度の本部参拝で買わして頂いた御本です。
 大変お徳を頂かれた先生とゆう話は、いろいろ聞かせて頂いとりました。
 御信者の中に大変熱心な信心ができる、にもかかわらず、しかも一家を挙げて信心するのに、おかげにならん。する事、なす事が思うようにならない。
 先生も、お取次をさせて頂いてから、この人が思うようにならないはずはないと思うけれども、おかげ頂かん。
 それで、ある御本部参拝の時に、三代金光様にお取次を願われた。そしたら、金光様が、「こうすればおかげになると分かっておりながら、こうせんから、おかげになりません」と言われた。
 さっきのお話のように、昨日もあげんして来たが、「先生、その事は、重々分かっとります」という。
 分かっておって、分かった事を実行せんから、おかげにならんのだと。この話は、松山成三先生のこの御本に出ておるか、出ておらないか知らないけれども以前に聞いたお話です。帰られて、その方に、金光様のそのお言葉を伝えられた。そしたら、「もう先生、本当にそうどころじゃない(全くその通りです)」と。
 一家を挙げて熱心に信心して、こうすりゃおかげになると分かっておりながら、それを実行しないからおかげにならんと。いわゆる鶴のひと声です。金光様のお言葉を頂かれて、それから改まった信心ができられて、またたく間におかげを受けられたとゆうお話、そのお話の主であるところの松山先生のお話なんです。
 日露戦争の後に満州に渡っておられる。満州のあちらこちらのたいていの町に出社を持たれた程しに御比礼が立っておる。
 だいたい小学校の先生であられた。親一人子一人で、お母さんが、その先生が大変体が弱いので、入信をされて、信心を頂かれて、お母さんからいろいろとお話を聞くけれども、それを受け付けようともしなかった。それが、ある機会にお参りする事になり、それから一心に打ち込むようになり、どうしてこんなに有り難い信心の話を、本当に早く聞こうとしなかったであろうかと思うくらいに熱心に打ち込んで、教会にお米と布団を持ち込んで、そして教会で、いうなら強引な居候と自分でも言っとられますが、教会に居候させてもろうて、そして、そこから学校に勤められた。
 それで、人が十年かかるところは三年で体得すると、いよいよ信心の佳境に入ってゆかれて、当時は三ケ月間の修行すりゃ教師の資格がとられるとゆう事を先生から勧められて、教師の資格を取って帰ってみえられた。
 御自分はもう、大変休が弱くて、二十五才迄しか生きられんとゆう程しの体が弱いお方であった。けれども、いよいよ信心の道が分かられて、有り難くなって、それからお道の教師の資格をとって帰って来られた。
 帰ってみえたところが、先生が、信者の中に高利貸をなさる人がおった。その人から、信者だからとゆう安心もあったでしょう。まとまったお金を借りて、そしてそれに利払いができずに、大変なひどい催促を受けておられる事を知られた。それからまたニ度の勤めです。いわゆるまた学校の先生に逆戻りされて、そして三年間、払い続けられて、元利共にちょうど丸三年で払いが終わられた。そして、その証書をお供えになった時に、先生も喜ばれ自分も大変感動したとゆうお話が、書いてありました。
 私は信心の真を現すとゆう事は、そういう事だと思うのです。
 自分の事のために、三年間、一生懸命の修行をしたとかゆうのでなくてね、教会のいわばために、いうならば親先生が、それこそ苦しんでおられるから、親先生の為に三年間、お母さんには、しばらくの間自分で内職でもして、自分の生活だけは立てていって下さい。自分も始末倹約をされて、給料の全てとゆうくらいに、それを支払いに当てられた。
 これは信心が分かり、信心をさせて頂かなければ、できる事じゃないのです。信心の真とは、それなんです。そうゆう信心が、私は命がけだと思うです。
 私が、親数会の四十年の記念祭に、いうなら引揚げて帰って来たばかりで、それこそ、自分の家庭の方がどうにもできないとゆう時に、もう、ギリギリの生活費できりつめて、そして収益の全部を記念祭のために使わせて頂こうとゆう、発心をして一年間、皆さんが、いつも聞いて頂くように、それが成就しなかった。いや、成就しないかに見えた。その時に初めて、自分の心の中に不浄のあるのを気づかせて頂いて、十二月三日の御大祭の、あとひと月前に、そこんところを気付かせて頂いて、打ち込ませて頂いたら、十一ケ月間もかかってできなかった事が、ひと月の間に、またたく間に、おかげを頂いた。いうなら一年間の働きの全てが、記念祭の事に行使された。
 今から考えてみると、なる程、あれが信心の真であったな。ただ、信心の真と思うておっても、そこに不純なものがある。不純なものをいうなら悟らせてもろうて、いうなら無条件の信心をもって、教会の記念祭に当らせて頂いた。
 なる程こうゆう時に、私は、力を受けたんじゃなかろうかと思うのです。それが信心の真を現した事になるのじゃないかと思うのです。
 それは、そうゆうふうに、一年も一二年も、かからんならんとゆう事はないですけれども、信心がだんだん分かってくる、有り難くなってくる、それが、そうしなければおられない心が育ってくる事が信心です。
 そうゆう信心ができるようになった時に、初めて神さまは、安心して下さる。この氏子には、どうゆうものをやっても、渡しても、もう油断をする事はなかろうとゆう見通しがつく時に、初めておかげを受けたのが、今日の合楽。
 昨日、信徒会長が言っておりましたように、十六日の御大祭の案内の印刷をしてあるものが、たくさんできてきた。だから、これを皆さんの知り合いの所に配ってくれとゆうふうに、話があっとりましたが、それこそ示現活動のための一番よいチャンスである。自分の知り合い、自分の親戚、どうでもあの人には助かってもらいたい、おかげ頂いてもらいたい、とゆう人が、いくらもある。自分の周囲には、五人だけは、今度の御大祭にお導引きさせて頂きたい。
 ただ、これを配るだけ、十枚でも二十枚でも、ただ配るだけじゃいけん。そこに信心の真を現さなければいけない。そのために祈り、そのためにお取次を頂き、そして一枚の、この案内でもです、持って回らして頂かなければおられない。私も一遍お参りしてみろうかとゆう人には、「そんなら私が自動車で迎えに来るから用意しとって下さい。何月何日の何時からですから」とゆう位なです、信心の真を現すとゆうことは、そうゆう事から始めなければならんと思うです。また、それは信心の真です。
 自分が助からんならんからじゃないでしょうが。その人が、助からなければならんから、とゆうのです。信心の真を現すとゆう事は、そうゆう事だ。
 それが、だんだん、そんならおかげを頂いて参りましてです、それこそ犠牲的な精神、あの人はなかなか犠牲的精神が旺盛だ、とこう申します。ただ、犠牲的精神があるだけではいけません。その犠牲的精神、自分を空しうするところの精神、そうゆう信心が、信心をさせて頂くところから生まれてくる信心が、信心の真であり、現す事なんです。
 やはり、自分を犠牲にする。松山先生の場合、三年間、自分や自分一家を犠牲にして、教会の借金払いに当たっておられる。それが信心の真なのです。
 だから、そうゆう素晴らしい事が思わなければおられない。
 銀座の湯川先生が、大空襲で東京が焼野ケ原になった時に、焼野ケ原に立って、一心不乱に御祈念を続けられた。それは、どうぞ銀座教会の復興をという事でなくて、東京都の復興を一生懸命願われたとゆう事です。
 信心の真です。
 とても、例えば、願われただけじゃないでしょう。願われるからには、それだけの修行をなさった事でしょう。信心の真とは、それです。
 だから、信心の真かのように見えておっても、私のように、親教会の記念祭に、一年間の働きの全てを、その記念祭に打ち込もうと思うたけれども、大変おかげ頂くかに見えたけれども、なかなか、ひっかかりができたりして、思うようなおかげが頂けん。
 ある時山に登って、山の滝場で、滝の水を頂きながら、一生懸命、記念祭のその事を願わせてもらうと同時に、どうして私が、こんなに一生懸命の真心で御用させてもらおうと思うとるのに、神さまが、おかげ下さらんじゃろうかとゆう、その神さまの心が知りたい。
 それが十一月、山中で、びっくりするような雷雨に会って、そして耳納山の中ほどにあります、滝場のこもり堂に逃げこんで、そのこもり堂で、ニ日間修行させて頂いた。
 そん時のお夢を頂いたのが、もう、それこそ、大きな立派な、四角い古井戸がある。その井戸をのぞいたところが、中に大きな鯉が泳いでおる。「今度の記念祭のお供えは、これだ」と夢の中で思いながら、私は、その井戸のふちに立ってから、小便をしておる。小便してしもうてから、「しもうた。」と思いよる。不浄がかったと思いよる。
 そうゆうお知らせを頂いて、私が悟らせて頂いた事は、それこそ、信心の真を現しておると思うて、自分は真と思うておったけれども、記念祭が済んだなら、神さま私におかげを下さい、とゆうものがあった事に気づかせて頂いて、いわゆる無条件、こうゆう御用したから、後にこうゆうものもらわんならんといったものは、さらさらなくなった。
 おかげを頂くための御用ではなくて、ただ純粋な信心になった時に、もう、あとひと月に迫っておるにもかかわらず、一年間でできなかった願い通りのおかげを頂いたとゆうこと。
 だから信心の真を現す現すというても、人の事のためにお導きしよう、人が助かられる事のために一生懸命修行しよる。けれども、それは自分がおかげ頂かんならんからといったようなものでは、不純なものとゆう事が分かる。信心には、そうゆう不浄がかかってはならん。どこまでも、真―心、無条件のものでなからなければならん。
 そうゆう信心がです、だんだんできてくる事、育ってくる事。そうゆうところに気づかせて頂いたところから、この氏子には、もう、いくらおかげを渡しても大丈夫、とゆう事になるのじゃないでしょうか。
 朝参りしてくれば、おかげ頂く事は、重々分かっとります、と。
 分っとらんから参って来んじゃないか、と昨日私が申しましたように、分かっとるだけじゃいかんのです。それが実際に現される事が、信心の真を現すこと。その信心の真を現すとゆう事が、こんなにも有り難いのだとゆう事です。
 それこそ、三代吉さんの話じゃないですけれども、毎日毎日いわゆる聴聞にやって来られる三代吉さんに、親鴛上人さまがです、毎日毎日話を聞きに来る。感心な氏子じゃあるけれども、そう、毎日毎日お話を聞きに来たんじゃ、うちでの御用もできないと思われたのでしょう、そんなに参って来んでもよいと言われた。ところが、その三代吉さんが言われる事がです、親鴛上人さまのそのお言葉に対してです、「落ちるこの身は十八願の、うちと思えば危なげはなし」といったようなお答えをしたとゆうのです。
 例えば、地獄というても、やはり阿弥陀如来さまのお懐の中でありますと悟っておりますと、こう言われた。
 それ程しの事を聴聞して、おかげを頂いて分かっておるならなおさらの事、こんなに日参り、夜参りはしなくてよいぞ、と言われた。
 そこ迄は、信心。
 ところが、上人さまに、三代吉さんが、また答えて曰くに、「日々、親さまが、このように御修行下さってあるのを思うたら、家にじっとしてはおられない」と言う、三代吉さんの言葉に、もうほとほと上人様も感心されたと。とゆうお話なんです。
 同じお参りでも、金光様が日夜、ああやってお取次下さってある。朝の四時から、お勤め下さってある。親先生もまたそれに神習うて、修行して頂いとる。それを思うたら、家にじっとしてはおられない、とゆうお参りが、信心の真を現したのです。
 これなら、ゆるぎがないでしょう。ゆるぎのあるはずがありません。
 おかげを頂くまで、一生懸命、お参りしよる。おかげ頂いた後も参らにゃん事は十分、分かっとるけれども、おかげ頂くと、やれやれになるとゆうのがです、結局、おかげだけの目当ての信心では、だから、いかん。
 信心の真を現す。・家にじっとしてはおられないとゆう程しの信心が生まれて来た時が、初めて神様が、安心して下さる。いわゆる、十里の坂を向こうへ登って降りたところです。だから神様も、安心しておかげを渡して下さる。そのおかげを頂いとる様子が、今の合楽の伏態だと思う。もちろん、生涯油断ができちゃならんのだけれども、そこまでの信心を頂いて、初めて十里の坂を向こうへ降りた時だと思います。
 お互いの信心が、ただ、おかげを頂くために眠かけど参りよる。おかげを頂かんならんから、御用もしよる、とゆうような信心から、本当に、信心の真が現される、信心の真を現さして頂くとゆう事にはです、条件がない。おかげを、もらわんならんけん現しよるとじゃない。
 そうゆうようなところを、身近か、手近かなところからです、信心の真を現す事の稽古をさせてもろうて、そして、その信心の真を現す事のためならば、命をかけるとゆう事は、一生懸命になるとゆう事です。
 そうゆう一生懸命になれる程しの信心ができられて、今日聞いて頂きました、銀座の湯川先生が、ああゆう大徳を受けられて、ああゆう大きな教会を、持たれる程しに、おかげを頂かれた。大連の松山先生が、それこそ外地にあって何十年間の苦労をなさって、たくさんの出社ができる程しのおかげを受けられた。終戦と共に引揚げて帰って来られたけれども、帰って来られた時には、もう、すでに岡山に教会ができておった、とゆうのです。徳とゆうものは、どうにも仕方がないものです。本当に有り難いものです。
 そうゆう、おかげを頂く、徳を受けるとゆう信心はです、いよいよ信心の真を、いかに現すかとゆう事を焦点にしての信心でながらなければならない。
 そうゆうです、信心させて頂く者は、心掛けをもって、信心を進めていかねばならんと思うですね、どうぞ。